先週の木曜日、母方の祖母が90歳の人生を終え、旅立ちました。
母方の祖母ではありますが、僕ら兄弟(3人兄弟)には親同然の存在でした。
と言うのも僕がまだ2歳半、妹は生後2ヶ月半のタイミングで、
母が結核を患い入院してしまったのです。
入院期間は1年半。当時は今ほどよい薬も無かったせいか、
通常それぐらいの入院期間だったらしいです。
その間、僕ら兄弟の面倒を見てくれたのが、
母方の祖父と祖母でした。
だから何というか、特別なんですよね。存在が。
祖母は非常に元気でパワフルな人でした。
ほんの数年前までは普通に車の運転もしていましたし、
(それが恐るべしドライビングテクニックでした・笑)
非常に多趣味で多才でありました。
革製品、洋裁、編み物、ステンドグラス、トールペイント、書道etc・・・
数えればきりがありません。
僕も結構な多趣味ですが、祖母の飽くなき知識欲には到底敵いません。
そして全て極めちゃうんですよね。
本当に尊敬しちゃいます。そういうところ。
また祖父同様、困った人を絶対にほってはおけない、
正義感が強く義理人情に厚く、常に人様のためにという精神で生きてきました。
人間としてもとても尊敬できる、そういった存在でした。
ここ1年前位からは歳のせいもあり、入院したり退院したりを繰り返してきました。
4ヶ月前からはいよいよ体の方も衰弱し始め、
入院した状態となりました。
妻と子供と3人でお見舞いに行った時には、
もう僕が知っている元気な祖母の姿ではなく、
とても痛々しい姿になっていました。
話すことも出来ずに、食事も点滴のみです。
それでも一所懸命に手を動かし、僕らに対してお礼を言ってくれている気がしました。
母からも余命はあと僅かであると聞いていました。
それでもなんだか良くわかりませんが、
祖母は死んだりしないという、なんかそういう感覚でいたのです。
実感がわかないというか。現実を受け止めきれないというか。
だから実際に亡くなったと連絡を受けた時も、
その時点ではあまり悲しみはありませんでした。
土曜日、日曜日に葬儀が執り行われ、
お盆にも関わらず、たくさんの方々に弔問にお越しいただきました。
その様子を見たときに、皆さんが祖母の生き方を証明してくれている気がして、
とても嬉しく感謝の気持でいっぱいになりました。
祖母は本当に安らかな顔をしていて、あの最後にあった痛々しい姿はそこにはありませんでした。
まるで眠っているようだね。妻と子供も頷いていました。
そしていよいよ最後のお別れの時、
祖母の顔を撫でました。
とても柔らかく温かい気がしました。
本当に今までありがとう。
そう言葉に出すと、そこで初めて悲しみがこみ上げてきました。
これでお別れなんだな。
初めて別れを実感出来ました。
人は生まれた瞬間に死に向かっていきます。
そう考えると、無駄な時間は1秒たりともありません。
だから故に、生きていることに感謝をし、日々を精一杯生きなければなりません。
自分の存在意義を探しながら、自分にしか出来ないことを見つけ、
僅かばかりでも世のため人のために実践していくことが、きっと人生の意味なんだと、
祖母の死は、僕にそのことを教えてくれました。
何年後かは分かりませんが、僕が死を迎えたその時に、
精一杯生きてこれたな。
そう笑顔でその時を迎えられるよう、僕にしかできないことを、
写真を通してできることを、その可能性を追い求めていきたいです。
そしていつか、家族にとって誇りに思ってもらえるような、
祖父や祖母のような、そういう人間になりたいと強く感じました。
あばあちゃん、ありがとう。
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